【画像】島羽周作の若い頃が別人級!Jリーグ練習生&先生を経てシェフへ

イタリアン料理のシェフ&オーナー、食のクリエイティブカンパニー・株式会社シズる代表取締役を務める「鳥羽周作」さんについて書いていきます。

女優の広末涼子さんとの熱愛報道でも話題を呼んでいますね。

そんな鳥羽周作さんの若い頃に注目していきたいと思います。

実は鳥羽周作さんには意外な過去、そして今とは全く別人級の姿がありました。

早速見ていきましょう。

目次

島羽周作のプロフィール

名前鳥羽周作(とば しゅうさく)
生年月日・年齢1978年生まれ 45歳(2023年6月時点)
出身埼玉県戸田市
高校さいたま市立浦和南高等学校
大学仙台大学
職業シェフ&オーナー

続いて、鳥羽周作さんの若い頃を見ていきましょう。

【画像】島羽周作の若い頃が別人級!

ここからは、鳥羽周作さんの現在のシェフになるまでの若い頃に注目していきたいと思います。

まず、こちらが鳥羽周作さんの高校時代の画像になります。

えっ、少し目を疑うほどの別人のような姿に驚きませんか。

同一人物とは思えない程に全然違いますね。

10代と現在の40代では確かに年齢は違いますが、これはビックリです。

現在と学生時代を画像比較もしてみました。

(左)が学生時代、(右)が現在の鳥羽周作さんです。

これは本当に同一人物?と思ってしまいますね。

(左)学生時代➡(中)ちょっと前➡(右)最近 の画像です。

シェフである職業柄なのか、かなりふっくらしているように見えますね。

サッカーをしていた学生時代は、とにかく動く生活で、「太る」とは無縁だったのでしょうね。

また、2018年頃と最近ではまた違っているようにも感じます。

(左)2018年頃、(右)最近 の画像です。

とても幸せそうな見ていて、羨ましい限りですね。

とても笑顔が素敵だなと思いますね、

では、学生時代のサッカーに明け暮れる日々について見ていきましょう。

島羽周作はJリーグ練習生&先生だった

サッカーに夢中な学生時代

鳥羽周作さんは、小さい頃は喘息で体が弱く内気な少年でした。

そんな小学校2年生の時に、意外にもサッカーに熱中していた過去があります。

周りの影響から地元埼玉のサッカー少年団に入団したのがきっかけでサッカーの日々が始まります。

その後、走ることが得意だったお陰で、チームのエースとして活躍していました。

そんな小学校5年生の時にプロサッカー選手を目指す大きな機会と出会います。

三浦和良さんとの出会い

その大きな機会とは、あの三浦和良さんとの出会いでした。、

小学校5年生で、三浦知良選手と一緒にお弁当を食べた!

と言うのです。

たまたま静岡大会に行った際に、三浦和良がきておりお話する機会があったそうです。

そこで鳥羽さんは

いつかカズさんと一緒にプレーしたいです

と伝え、カズさんからは・・・

待ってるよ

と、鳥羽さんへ言葉を返したそうです。

鳥羽周作さんは、その言葉を胸にサッカー選手を目指したと言います。

当時はまさに海外で活躍する大スターのカズさんに会えるなんて、夢のようだったでしょうね。

そこから鳥羽さんの、プロサッカーを目指す日々が始まります。

プロサッカー選手を夢見て・・・

・埼玉県の地元の中学校
・浦和南高校(サッカー名門)
・仙台大学(東北の強豪校)
   ↓
・小学校の先生になる
※社会人リーグで平日:週4回練習、土日:リーグ戦

このよう日々を過ごし、プロサッカー選手を夢見ていました。

ここまでか!という程にサッカー中心でやってきた鳥羽周作さんでしたが、ついに挫折するきっかけが訪れてしまいます。

プロからの挫折

25歳まで小学校の先生をしながら、サッカーに打ち込んできた鳥羽さんでしたが、ついに挫折するきっかけが訪れます、

それは、大野敏隆さんという同い年のプロサッカー選手のスルーパスとボディコントロールを見たことでした。

その時鳥羽さんの心の中で・・・

「こんな人がいるならプロになれない」

と痛感したそうです。

自分より勝る人を見て、しかも同じ年齢の方と知り、かなり絶望したことが伺えます。

そこから、今の料理の道へと転身することとなっていきます。

シェフへの転身

鳥羽周作さんは、プロサッカー選手への夢の挫折から、またなぜシェフへと転身することとなったのでしょうか。

それは、やはりサッカーが原点であることがわかります。

そのきっかけは、当時日本代表だった田中英寿さんだったと言います。

鳥羽周作さんは、何かを極めることで

田中英寿さんと肩を並べて話したい。会いたい。

そう思い、好きだった料理の道へと転身することとなります。

そう思ったら行動力も速い鳥羽修平さんは、小学校の先生を辞め、すぐさまイタリア店へ修業の申し込みに行きます。

そこからの修行を重ね、2018年7月には「sio」をオープンさせます。

  • 神楽坂の【DIRITTO】で修行(3年)
  • 青山の【Florilege】で修行(2年)
  • 恵比寿の【Aria di Tacubo】でスーシェフ(2年)
  • 代々木上原【Gris】のシェフに就任(2016年3月〜)
  • 【Gris】を『sio』としてリニューアルオープン(2018年7月)

そして現在に至ります。

ちなみにですが、「田中英寿さんと肩を並べて話したい。会いたい。」については、夢実現し叶えられています。

ちなみに中田英寿さんは何度かお店に来てくれて、そこは夢が叶いました。自分が料理人になったきっかけを話したら中田さんは笑っていましたね。

https://note.jfa.jp/n/nffe5a9091325

人生、色々ありますが、違う形で夢実現をした鳥羽周作さんの人生を少し知ることができましたね。

これからシェフ、そしてオーナーとして更なる活躍が楽しみですね。

【画像】島羽周作の若い頃が別人級!Jリーグ練習生&先生を経てシェフへまとめ

今回は、鳥羽周作さんが若い頃と別人級であることと、現在のシェフになるまでについて注目して書いていきました。

いろいろ挫折もありながら、現在成功されていることがわかりますね。

これからも鳥羽周作さんの活躍を楽しみにしています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次